叔父の死去

じぶんごと

久々の投稿なのに重たいタイトルでごめんなさい。全然仕事と関係ないプライベートの事ですが
勝手ながら、忘れたくないことなのでここに思いを綴らせてもらいます。

2019.9.11に私の叔父が58歳の若さで死去しました。私の父の弟にあたります。9.15 火葬し告別式にてお別れをしました。癌でした。名前は「志村隆(しむらたかし)」次男。私の名前は「志村竜生」次男。同じ「生」の字を持ちます。同じ「次男」です。お互いの子どもの頃の写真が瓜二つでそっくり。

「たかしおんちゃん」とずっと呼んでいました。おんちゃんには私と同じ世代の3人の娘がいます。男の子が欲しかったおんちゃんは、子どもの頃からたくさん遊んでくれたり親には買ってもらえない欲しいものを内緒だぞと言ってくれました。我が子のように可愛がってくれました。

仕事も竹鶏ファームに勤めていました。憲子おばさんと夫婦で働いてくれました。竹鶏ファームの基礎を私の両親と共に作ってくれました。小学校、中学校時代、たくさん話しました。一緒に仕事もしました。思春期になると父親と話さないこともおんちゃんなら話せました。ほんと他愛もない話しだったと思います。楽しい思い出ばかりです。

2010.5 私が竹鶏ファームに入社し戻りました。それを機に、元々そこまで経営観や性格が
合わなかった、父である社長とおんちゃんはより溝が深くなり、ある時、夫婦で退社することになりました。家族経営において、難しい、非常に繊細な部分であり兄弟で経営に関わってる方
なら誰しも抱えている命題なんだと思います。私が引き金を引いたこと、まだ25歳だった若さから
何もできなかったことを悔やんでいます。あの時こうしていればと・・ただそのお陰で今があるとも言えます。おんちゃんが残してくれたものはほんとうに大きかった。今、たくさんの人に助けられながら父・兄と役員になり経営できています。あの時「竜生、ごめんな」と言ってくれたね。
あの時、何も言えなかった。おれの方がごめんね、おんちゃん。

生前、病室に行き最後に話してくれた言葉
叔父「竜生、じいちゃんとばあちゃんを頼んだぞ」
叔父「お前しかいないんだから」
私「わかった」
元々、ウエイトリフティングをして筋肉質で大きな体は、病気でだいぶ痩せ細ってたね。その時それ以上は答えられなかったけど、おんちゃんとは仕事観や性格は違うし、話しもそんなに合わないんだけど、なぜか言わなくても深く繋がってる感じがずっとあります。そんな関係でした。次男同盟だよね。

じつは、13年前の9.15に父の姉も癌で他界していました。私の祖父や祖母は元気に生きてます。
自分の子どもを亡くす気持ちは想像に難しくないと思います。そんな親のことを考えて伝えてくれたんだと思います。たかしおんちゃん、天国で見ててね。ちゃんと「生」の遺志を受け継いでいくよ。ごめんなさい。まとまりない、暗い内容でした。でも9.15は母の誕生日でもあります。私にとって、9.16は「生」を真正面から、そして前向きに考える1日です。生かされている命、大切に生きます。隆おんちゃん、本当にありがとう。心からご冥福をお祈り申し上げます。

竜生より

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